K-LOG! 〜何気ない日常を面白く。〜

どうも。国公立大学院生のKです!毎日そこそこに忙しい日々を送っておりますが、とても楽しい!カテゴリなんて考えず、日々思いついたことを次々記事にしていきますよ〜(ブログアイコン:kinoac)

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私は理系?文系?どっちでもない? 文理選択をする前に…

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あなたは理系ですか?文系ですか?

自分が文系なのか理系なのか、考えたことがあるでしょうか。進学校(自称、も含む)に通う大抵の人は高校受験の時や、高校在学中に1度は文理選択をすると思います。高校生以上の大人なら、自分はこっち!と思いつく人が多いでしょう。そもそも大学受験の時にはどちらかに決めて受験する場合が多いので…ところで、あなたは理系ですか?文系ですか?どっちがすごいとか、あるんでしょうか?

 

文系・理系。どっちが偉い?

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大前提として、文系も理系も、どっちが偉いなんてことはありませんしどっちが劣っているということもないと私は思います。私は理系の人間ですが、再度大学に入り直すのであれば経済学部や法学部に入りたいなと思うのです。理系には理系の素晴らしさがあり、文系には文系の素晴らしさがあります。

 

理系至上主義という言葉があります。一部の界隈では理系が最も偉い、という考えを持つ方もいらっしゃるようです。どのような考え方を持っていても自由ですから、私はこれも批判するつもりはありません。しかし、ふと、なぜこのような「理系至上主義」という言葉が生まれてきたのかと考えたところ、ある結論に至りましたので、今回はそれを書き記したいなと思います。

 

なんちゃって文系がとてつもなく多い。

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「理系科目が苦手だから、文系にした。そして時の流れに身を任せている。」という人たちのことを「なんちゃって文系」と私は呼んでいます。もちろん文系を選択した動機が”理系科目が苦手だから”だとしても、文系の学問に触れた時に何かを感じ取り、文系に魅せられたのであれば、それは「なんちゃって文系」なんかではありません。

「なんちゃって文系」というのは、「高校時代に理系が嫌いだったから文系に進んだ。大学に入ってから、時間割はスカスカだから遊びまくって、レポートも先輩のものをパクったりして、試験だってろくに勉強せずに臨み、卒業を迎える。」人たちのことをさします。

文系の大学(学部)にいながら、散々遊んでいる人々、これが文系ではない「なんちゃって文系」です。

 

なんちゃって理系っていないの?

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「なんちゃって理系」というのはいることにはいますが、少数派です。基本的に理系の大学生というのは忙しく、サボると進級・卒業できないという傾向にあります。理系に進む学生の場合は、高校時代にある程度、数学や理科でそこそこの成績を収めている人が多く、論理的思考がまるっきりできないという人はそうそういません。理系の学問に魅せられた人が多いというと語弊があるかもしれませんが、少なくとも内容を全く理解せずに大学を終えていくという学生はごく少数のはずです。「なんちゃって文系」と比べれば、「なんちゃって理系」の数は本当に少ないのだろうな、と思います。

 

論理的思考ができないならば、文系は務まらない

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理系の人間が文系を語ることはできないので、あくまで理系から見た文系というお話です。

文系ってすごいな、と感心します。例えば文学部。日本語やその他言語で記述されている抽象的な文章を考察する能力は私にはありません。記述されている文章だけではなく、人と話していて察知する能力、いわゆる「空気を読む」ことに長けている人が多いような気がします。

あなたは、自分の考えを100%相手に伝えることができるでしょうか?理系なら、自分の考えを述べる際には必ずそれをサポートするデータを用います。いくつかのデータを並べて、「これらのことから、〜いうように考えられる。」とまとめるのが普通で、そこに突っ込みどころを作らないのが基本です。

言葉だけで言いたいことを伝えるのはとても難しいと思います。しかし、論理的思考の積み重ねによって抽象的な言葉を解析しているのが文系なのだろうな、と思います。私には、この論理的思考を抽象的な言語に応用するということができませんでした。だから私は文系科目に面白さを感じることがなく、理系を選択したのです。

 

文系を支えているのは、論理的思考力なのでは?

文系というのは、一言で言い表すことができない、抽象的なものの解析が多い学問だと私は思っています。(文系を詳しく知らない私がいうのもどうかと思いますが、ご容赦ください。)

しかしこの抽象的なものを扱う上で必要なのは、論理的な思考力なのだとも感じています。極論をいうならば、数学が苦手な人には文系は務まらないと思っています。

高校生の数学というのは、数式や文字と、定められたルールに基づいて、問題を論理的に解決するトレーニングです。扱っているのは、0から9の10個の数字と、ルールを持つ記号だけです。問題を見た瞬間に、やるべきことと、正解までの道のりが決まるのが高校生の数学です。そして、大学受験においては、「正解にたどり着くまでの最も早い道のり」で、問題を解決する能力が問われています。

 

「思考」というのは必ず論理的なければなりません。「なんとなく〜」というのは思考ではなく感覚です。高校の数学や理科というのは、自分の頭脳がどこまで論理的な思考に耐えられるのか?を問われている科目だと考えています。そのために、小難しそうな記号やルールをどんどん増やしていって、暗記するべき公式も増やし、問題を解くためにはそれらを適切に当てはめなければいけないようになっているのです。

 

「文系」の人は、大抵の場合は「理系科目」もそこそこできるようです。それは、論理的な思考ができるということが大前提の学問だからなのかなと私は思っています。例外的に、数字アレルギーというものもあるようです。文系科目となるとものすごい論理的思考力が見えるのに、扱うのが数字やアルファベットになった瞬間に撃沈するタイプです。当然、数学や理科はできないのに文系科目は得意…となるので、「理系科目が苦手だから、自分は論理的思考ができない」というように決めることもできません。

 

理系も苦手だし、文系も苦手なんだけれどもどうすればいい?

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「理系も文系も自分はしっかりと勉強している、にも関わらずどちらともできるようにならない」というのであれば、手に職を持つような道を探すのがよいだろう、と思います。そのために大学にいくというのも立派な選択です。手に職を持つ、というのは例えば専門学校であったり、資格取得のために大学に通うことも含みます。医師免許の取得や看護師免許の取得だって立派な専門職ですし、自身が持つ感性を生かす仕事も多々あります。そのような仕事も社会で必要とされている立派な職業ですし、いわゆる「職人」がいなければ世の中は成り立たないものでしょう。

 

文理選択・大学受験を控えた高校生へ

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「苦手だから」という理由で、自分が文系か理系かを決めないことがとても大切です。今苦手でも、文系科目あるいは理系科目に、「おもしろい」と魅せられたものがあったなら、それはあなたに向いているのです。今現時点で、その科目ができるかできないかは、大学に入ってしまえば関係ありません。この先、自分が「好きだ」と思える方向へ進むのが、文理選択のコツとも言えるのではないでしょうか。